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なぜ多くの人は、聖地に赴くのだろうか?

「なぜ多くの人は、聖地に赴くのだろうか?」と、皆さんは考えたことはないでしょうか。
私は、本療法を世に出したときに、「自分自身が、聖地になればいい。」という考えに達しました。
それまでは、神社仏閣などを巡ったことがありました。
その時に感じたのは、自分の波動が乱れているときや、気弱になったときに、自然と波動のよい聖地に足が向いたのだと。
また、自分自身の波動を確認をしていたのだと。
その場所では、静寂で清らかな波動(エネルギー)を身体で感じ取り、そのエネルギーを日常に下ろし仕事などで頑張ることが出来たのでしょう。
これは、皆さんも同じだと思います。
弱い人間の歴史を辿ると、自分にエネルギー不足が生じれば、自然とエネルギー補充のため聖地に赴く(慈愛に満ちた神の琴線に触れるために)、その繰り返しをしていたのだと。
これは、神仏を信じる信じないにかかわらず、どこかで懐かしさを覚えていたのだと思います。
では、人間の身体の聖地は、一体どこにあるのか?ということになります。
それが、仙骨(仙骨球)なのです。
そして、生命が宿るところでもあります。
仙骨球が真円で高速回転をしていれば、もうそこは聖地と化しています。
本療法を「百年後の究極の治療法」と呼んでいる所以が、ここにあります。

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