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「差別」と「区別」

世界中で、人種・民族差別、宗教差別、身分差別、文化差別、性差別などにかかわる、個人や集団に対する嫌がらせ、脅迫、暴行などの犯罪行為、ヘイトクライムが問題になっています。しかし差別を受けている人々を擁護したりすると、これが逆差別であると批判されることもあるようです。また、世界の多くの国で男女不平等が問題視され、男女平等の社会を目指すための取り組みが活発になっています。そして最近では、男女格差を測る上で指標となるジェンダー・ギャップ指数が取りざたされるようになりました。

では、なぜ格差や差別問題が起こるのでしょう?

本題に入る前に「差別」と「区別」についてハッキリさせる必要があります。辞書を引くと、

「差別」とは、差をつけて取り扱ったり、わけ隔てて正当な理由なく劣ったものとして扱うと記されています。

「区別」とは、違いによって分けること、またその違いを区分けすると記されています。

私の見解ですが、上記の「差別」と「区別」を混同するがゆえに、現在の矛盾した社会を招いていると思う一人です。男性と女性とは、人間としては平等かもしれませんが、性質が全く違うということです。当然、使命や役割も違ってきます。それを忘れて、男女平等を唱えてはならないということになります。

各自治体ではごみの分別が厳しくなっていますが、それに例えることができます。燃えるごみ、不燃ごみ、プラスチックごみ、再生紙などの回収が行われていますが、これらを一緒くたに詰め込んだごみ袋は回収してくれません。逆に、ひんしゅくを買う羽目になります。人間とごみを一緒にはできませんが、種類ごとに差別するのではなく分別(区別)すれば、誰も文句は言わないでしょう。これは、あらゆることに通じます。

「差別」するではなく「区別」することから話をすれば、まったく問題は起こらないはずです。そうなれば、もっとお互いを尊重しあえる社会が構築されていくと思うのですが。

私の持論で以前にもお話ししましたが、「地球という惑星は‘喜怒哀楽’を通して各自が理解するように、その場所が提供されているに過ぎない。」という考え方です。これは肉体があるからこそ、気づき理解できる世界があるということです。これからも理解が進まない限り、地球上では争いや差別などは無くならないでしょう。また競争社会だらこそ、気づくことが多くあります。そこで気づいた者から、どんどん否定的な世界から抜けていくことです。そして、すべてを覆いつくす懐の大きい人として人格(精神性)を極め、この世を闊歩して欲しいものです。

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